南イタリア6日間(2)


2月8日(3日目)
【世界遺産】アルベロベッロ散策
アルベロベッロの朝は小雨模様だった。昨夜の夜景と違って、その全景がハッキリとする。トンガリ屋根の集落は一部の地域だけかと思ったが、人口約1万の小さな町でトゥルッロ(「部屋一つ屋根一つ」の意)が1000あると云う。このトゥルッロは平たく加工した石灰岩を積み、壁を石灰で塗る。屋根は円錐形で、初め白い屋根は、年月を経るにつれ南イタリア特有の強い紫外線を浴び、徐々に黒ずんでゆく。白壁には紫外線を防ぐほか、外気を遮断して保温効果を高め、室内を広く明るく見せる効果がある。そもそもこの建物は、16世紀に土地開墾のため集めた農民が住むのにこの家屋を作られ、トゥルッロが、この町では集合して存在することから複数形のトゥルッリ (trulli) で呼ばれることが多い。この構造には諸説あるが、この地を治めた貴族がナポリ王からの家屋に課せられる税から逃れるため調査の際に屋根を壊し、「家ではない」と主張できるように壊しやすい家を作ったと言われている。今回の現地ガイドは日本人で陽子さんという。イタリア人と結婚して22年、丁度1週間前に日本のBSテレビで放映され、偶々家内も見たという。美人でしっかり者。おっとりした旦那を尻に引き、テキパキとガイドしながら自分の住居兼土産店「陽子の店」も案内してくれた。
本日ガイドしてくれた陽子さん トゥルッリの集落 坂道にも水の流れに工夫がされている
まるでお伽の国のようだ 「陽子の店」 右はご主人 店の二階からの眺め


マテーラ迄約67km移動、【世界遺産】マテーラ観光。
アルベロベッロからトイレ休憩を挟んで約1時間でマテーラに到着した。ここも世界遺産である。岩山をくり抜いた洞窟住宅群「サッシ」(岩壁を意味するサッソの複数形)が残る街である。その数も半端でなく圧倒された。ここも歴史を紐解くと、8世紀から13世紀にかけて、イスラム勢力の迫害から逃れたキリスト教の修道士が、新石器時代から使われていた洞窟に移り住んだのが始まりと言われている。その後、長らく小作農民の住居であったサッシは、南イタリアの貧しさの象徴的な見方がなされ、第二次世界大戦時には不衛生で不便な暮らしが嫌われ、廃墟と化していった。その評価を気にしたイタリア政府が、1970代以降、建築学上貴重なものとして省みるようになり、政府が保存に乗り出し、世界遺産への登録が後押しとなった。人が戻り始め、現在は洞窟住居の5分の1ほどが再利用されている。また、サッシを利用したホテル、オフィス、レストランも開業している。もの珍しさも手伝って、昨今は人気があるという。中は綺麗に改装され、見た目にも面白そうだった。本日の昼食も、そのサッシのレストランで食事した。とてもとても昔の面影は微塵もなく、お洒落なレストランという雰囲気だった。ゆっくり観光、滞在できる穴場スポットかも?
サン・ピエトロ・カヴェオーゾ教会側から見たサッシ住宅群
谷の反対側にも洞窟住居跡の穴が点在する。その当時の厳しい様子が・・・・

サッシ住宅群 サン・ピエトロ・カヴェオーゾ教会 いろんな店が点在する
現在も使われている道 昔の洞窟中の様子 人馬一緒に生活していた
イタリア特有の陽光に照らされたサッシ群 レストラン内部 現在6万人の大きな街


マテーラ観光が終わり、一路西へ273kmのソレントへ
トイレ休憩も挟んで、ソレントに着いたのが4時間30分後の夜の7時半だった。途中山沿いの道路をひた走り。疲れも手伝ったのか誰しもウトウトしながらバスに揺られていた。
ソレントはナポリからは南に約50キロ、ナポリ湾を囲むように対岸にあるのがソレントの町だ。今回の経路だと地図上では35km手前にアマルフィーがある。が、ツアー宿泊地の関係上、ソレントにしたのだろう。またアマルフィー海岸行きの起点にもなっている。ナポリ民謡で有名な「帰れソレントへ」だ。切り立った断崖の上に広がる人口1万7千人の市街で、風光明媚なリゾート地である。暗くなってからの到着だったので、確認できず。ただ、夜のレストランに徒歩で行った途中に凄い断崖下に道路があった。その落差20〜30m位あったと思う。下を覗き込んでビックリ。しかし今回のツアーにはソレント見学が組み込まれていなかったのが断念だ。今夜の宿泊ホテルは大きな庭がある5っ星ホテルだった(パルコ デ プリンチペ ホテル)。
山沿いの高速道路を一路ソレントへ ソレント市街地の夜景 20〜30m断崖下を通る道路
レストラン店内所狭しと飾られた
著名人の写真
宿泊ホテルは門から広々した公園内にある 部屋も広々としていた



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